ヤツは何度でも現れる。俺が過ちに気づくまで……

気胸物語VI

〜偽最終編〜

  1998年12月3日、俺は19歳の誕生日を迎えた。がしかし、昨日退院したばかりで、しかも息苦しいので一日中ベッドで寝ていた。せっかくの誕生日なのになんてザマだ。彼女に祝ってもらうことすら出来ず、その日は虚しく過ぎていった。
 次の日、さらに息苦しさが増していたので、一昨日退院したばかりなのにまたT病院へ行った。やはり再発していた。一体前回の入院はなんだったのだ?
 今回はO先生が責任をもって管を入れた。が、管入れの痛みが強く、その夜は満足に眠れなかった。
 3日後、ようやく空気の漏れが治まり、肺は膨らんできた。しかし今回はかなり慎重に治療するため、2日間様子を見ることにした。
 そして管抜きの予定日、俺は空気が漏れていないかトロッカー(管に繋がれている機械)を見て確かめることにした。漏れていたら青い液体の部分に泡が出るのだ。
 んー−…漏れてないな。よし、完璧……!?……今、泡が見えたような…!!出てる!!漏れてる!!そ、そんな…
 どうやらうつ伏せになると漏れるらしい。そのことをO先生に告げると、「あ、それは漏れてるんじゃなくて、一旦漏れた空気が肺と胸膜に挟まれて出て来れんくなったやつやから、もっと出したほうがいいよ」と言われた。なるほど、つまり閉じ込められてた空気が姿勢を変えることで出て来れるようになったわけか。んじゃもっと出すか!
 というわけで俺はうつ伏せになり、トロッカーを見つめ、泡が出るたびに喜んでいた。
 ……1時間後、だんだん苦しくなり、俺はようやくO先生が間違っていることに気づいた。これはただ単に『漏れている』だけだ。俺はうつ伏せになりながらただ肺の穴を広げていただけだったのだ。管抜きは延期された…

 黄ばんだカーテンに囲まれた個室の中に何日もいると、まるでずっと昔からそこに住んでいるような気がして、世界がそこだけしかないように感じる。そして、他の事、例えば大学の勉強や人間関係などどうでもよくなってしまう。俺はこの病室で、もののけの森を感じた…

 数日後、やっと管を抜いた!今は前のような息苦しさはなく、すこぶる快調だ!今度こそ治ったのだ。
 その日、俺は遠くのほうで誰かが泣いているのを聞いた。その声はおじいさんのようで、かなり大声で大泣きしていた。看護婦さんの声が聞こえた。「○○さん!どうしたん!?」そのおじいさんは耳が遠いらしく、看護婦さんは大声で話しかけているので、俺にもその声はよく聞こえた。
「何で泣いてんの!?」看護婦さんはおじいさんに聞いた。おじいさんはなにやら看護婦さんに言っていたが俺には聞こえなかった。しかし、次の看護婦さんの声で俺にはおじいさんが何を言ったかわかった。
「えっ!?うれし泣きしてんの!?」そう看護婦さんは言ったのだ!俺はおじいさんのうれし泣きを初めて聞いた。なぜうれし泣きをしていたのかは今となっては知る由もないが、かなりの高齢になり、耳も遠くなり、しかも入院していても、泣いてしまうほど嬉しいことってあるんだなぁと思い、なんとなく励まされた。

 12月13日、俺は退院した。もうそろそろ終わりにしてほしい。ヤツに脅える生活はもうイヤだ!消えてくれ!

 俺はヤツが何を伝えたかったのか、まだ気づいていなかった。ヤツは俺にどうしても伝えたかったのかもしれない。しかし俺には逆効果だったようだ。この入院が終わったあたりから、俺はさらに堕落した人間になっていく。
 そしてヤツは、何度でもやってくるのだった……

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