確かに封印したはずだった。しかし、ヤツは再び俺の肺に舞い降りた……

気胸物語IV

〜蘇生編〜

 気胸封印から1年9ヶ月、その間いろいろなドラマがあった。辛かったが人生の中で最もがんばり、そして輝いていた受験生活を経て、俺は第一志望のK大学へ入学した。彼女もできた。気胸のことなどすっかり忘れ、テニスサークルに入り、存分に大学生活を謳歌していた。今思えば何一つ不自由なく、悩みもない極楽生活をしていたのだ。
 しかしそんな俺を、ヤツが許すはずもなかった……

 1998年10月27日、夜。俺は彼女と電話していた。たわいもない、バカな話、そんな電話も俺の幸せのひとつだった。しかし、そんな俺のささやかな幸せが一瞬にして吹き飛んだ。
 『ググググッ』っという音とともに左肩に激痛がはしった。こ、これは……!!?ま、まさか……!!違う違う、そんなはずはない!ヤツは確かに封印したはずだ!!絶対あり得ないっ!!
 心では否定しても、左肩の痛みは本物だった。全く衰えず、しかも確実にひどくなる痛み…しだいに左肺に『ボコボコ』という音が聞こえ出した。間違いない……これは、ヤツだ…ヤツが『蘇生』したのだ……!!

「ごめん…ちょっと肺が痛いから…もう切るね…」とりあえず俺は電話を切り、自分の部屋へ向かった。途中、姉に出くわした。俺は、一生使いたくなかった言葉を言い放つ。「再発したかもしれん…」
 ベッドでうつ伏せになった。これで痛みも呼吸も少し楽になった。が、『再発した』という事実がゆがむはずもない。夢なら早く覚めてくれ… そう思いつつ、俺は眠りについた…

 翌日、やはりあの痛みは夢ではなかった。それどころか昨日よりひどくなっている。俺は観念して病院へ行くことにした。
 M病院はすっかり信頼を喪失していたので、T病院へ行くことにした。
「前の手術で癒着したところが剥がれたんでしょう」主治医のO先生はそう言った。それじゃあ前の手術はなんだったんだ!?
「ほんの少し癒着が剥がれてないところがあります。これのおかげで完全にはしぼまなかったようですね。」O先生はフォローを入れた。しかしそれで前の手術の痛みが報われるはずもない。
「うちでは早くて3日、遅くても1週間で気胸患者さんには退院してもらっています」このO先生はかなりのベテランのようで、頼もしい限りだった。
 管が入れられた。麻酔の量がどれだけだったかしらないが、あまり痛くなかった!さすがベテランだ!最初からT病院にしときゃよかった…などと思いつつ、久々の病室で一夜を明かした。

 次の日(10月29日)、彼女がお見舞いに来てくれた!前回と違うのはまさにこれだ!支えてくれる人がいる。これだけで僕の気胸生活は精神的にかなり楽になった。まだ空気の漏れは止まらないが、その日は楽しく過ごせた。
 その次の日も同じような日だった。相変わらず穴は塞がらない。明日と明後日は土日のためO先生が休みなので、退院の予定が11月3日になった。
 11月2日、穴が塞がったらしい!ドレーンなしでも空気が漏れないか管にクランプをして確かめる。次の日空気が漏れていなければ、管を抜き、晴れて退院となるわけだ。この時点で5日が経過していて、ドラゴンボールなどでよく使われる『とっくに3秒(日)は過ぎたぜ』状態だったが、まぁ仕方がない。まだ1週間経ってないし、今回は結構早く終わったな。

 11月3日、主治医の弟子のT先生が来た。無言でクランプを外し、無言でドレーンを見る。…10秒後、彼はぼそっと「漏れてますね」と言い、部屋を出ていった… そ、そんな… 漏れてる?なぜ?まだ完全に塞がりきっていなかったのか?…そうだ、そうだった、これだ、これが気胸の恐怖なのだ。すべての期待を裏切る存在、それが気胸なのだ。封印を解いたヤツはさらに強くなり、俺の肺に甦った。一体なんのために…?

 次の日、O先生がひとつの提案を持ちかけてきた。「薬を管から入れて胸膜と肺をくっつけよう。これなら絶対塞がるし、再発もほとんどない。やるか?」そんなこと言われてやらないと言う方がおかしい。デメリットは『薬を使うと変にくっついてしまった時手術がしにくい』というのと『炎症を起こさせてくっつけるので少し痛い』というものだった。しかしこれで決着がつくのなら安いものだ。少しの痛みなんぞ、とうの昔に慣れている。俺は薬を投入することを決意した。
 O先生はでかい注射器を持ってきた。その中には黄色い液体が入っている。この液体で炎症を起こさせるのか。
「じゃあ入れますよ」O先生はそう言うと、管の根元あたりにあった注射針を入れる個所に注射針を挿入した。この管にはこんなものがついていたのか…
 注射された。肺のあたりにすうっと冷たさが行き渡る。「はいこのままうつ伏せになって下さい」言われるままうつ伏せになる。なんだ、全然痛くないじゃな……!!……うおおっ!!?な、なんだこの痛みはっ!!?左肺全体に熱い灼けるような痛みが俺を襲う!!うう…これはキツイ…
「そのまま30分じっとしてて」そう言うとO先生はどこかへ行ってしまった。30分っ!!?マジでっ!!?あああ…
 その後、なんとか30分灼熱の痛みをこらえた。がしかし、動けるようになったからといって痛みが引くわけでもなかった…結局さらに1時間程俺は痛みに動くことすらできなかった…

 なぜ俺ばっかりこんな目に合わなければならないのだ…?
 なぜヤツは俺を苦しめようとする?
 普段の行いが悪いからか?
 幸せな生活をおくっていたからか?
 こんな顔なのに彼女がいるからか?
 
 ヤツが甦るまで、俺は幸せな生活をしていた。こんなに幸せでいいのか、と思うくらい、恐いくらい幸せだった。そのバチがあたったのか?確かに幸せすぎた俺は少し調子にのっていたようだ。なんとなくダメな人間になっていた。それをヤツは身をもって教えてくれたのか…?
 俺はそう思い、懺悔的な気持ちになることで、気胸の苦しみから逃れていた…
 
 結局、薬を使っても穴は塞がらなかった。O先生は「そういう時もある」と言っていた。絶対塞がると言っていたのに?うまく空気が抜けていないと言われ、管を動かし、位置を調節した。痛かった…

 11月5日、O先生からひとつの選択をせまられた。『このまま様子をみるか、手術するか』。俺は虚しさをおぼえた。3日で治るんじゃなかったのか?遅くても1週間で退院できるんじゃなかったのか?もう9日経っている。なのに空気の漏れすら治まらない。
 こんなに苦しまなければならないほど、俺は幸せだったか?そんなに俺は悪いことをしたか?そこまで怠惰だったか?幸せで何が悪い。彼女がいて何が悪い。こんな顔でも恋愛したっていいじゃないか。
 お前は一体何を考えているんだ?俺をここまで苦しめてどうするつもりなんだ?俺に復讐するため?もういいじゃないか。俺は十分苦しんだんだから…

「わかりました。手術します…」俺はO先生にそう告げた…

 11月6日、手術決行。マスクを口にあてられた。俺は何とか意識を保とうとしたが、ダメだった。思いきり目をつむったような視界になり、俺は眠りに落ちていった…

 父と麻酔の医師の顔が見えた。手術は終わったらしい。まだ夢を見ているようだ。母が何か言っている。彼女の電話番号を聞いているようだ。俺はそれに答えると、また眠りについた…

 翌日、術後の痛みはあまり感じなかった。M病院の時とは比べ物にならないくらい楽だった。やはりあの病院はヤ○だったのか。
 昼すぎには彼女が、夕方にはサークルの友達が花を持って来てくれた。手術中に口に人工呼吸器の管を入れていたため、声がかすれてでなかったが、挨拶はできた。改めて友達や彼女の大切さを感じた。人はやはり一人では生きられないということを痛感した。たとえ一人で生きていけたとしても、とても味気ない人生になってしまうだろう。
 手術2日後にはクランプをし、3日後にはついに管を抜いた!感無量だった…

 もう一度ヤツを封印した。これでヤツはもういない。しかし、どうしても不安を拭い切れない。ヤツは本当に消えたのか…?これで俺は気胸生活から開放されるのか?その答えは、意外に早くわかるのであった……

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