お前は俺に何を伝えたい?何かを伝える為に現れる。そうだろ……?

気胸物語V

〜裏切編〜

 11月28日。俺は車の免許を取るために教習所へ通っていた。今日は応急救護の講習を受ける日だ。
 少々遅れそうになったので、急いで原付で教習所に向かった。教習所に着いて教室へ入り、席についた時にはなぜか息切れしていた。
 講習が始まった。まずは交通事故現場での応急救護のビデオを見せられた。うわー、すごいことになってるなぁー、などと他人事のように見ていると、なんだか体がおかしいことに気がついた。苦しい…息が…苦しい…ま、まさか…!?い、いや、前にも一度言ったようなセリフだが、『そんなはずはない』!まだあの日から1ヵ月も経ってないじゃないか。それに、再度の手術で完全に封印したはずじゃ…
 だが、俺の微かな希望は完全に打ち砕かれた。再発したのだ…
「す、すいません…ちょっと体調悪いみたいなんで帰っていいですか?」俺はそう先生に告げ、教室を出た。応急救護の講習なんか受けてられない。こっちが応急救護されたいくらいだ。実は前回も応急救護の予約をしていたのに再発した為受けられず、六千円を無駄にしたのだ。俺は一生応急救護する側に立てないのか?などと思いつつ、母に車で迎えに来てもらい、T病院に向かった。

 T病院に主治医のO先生はいなかった。今日は休みだそうだ。代わりにO先生の弟子のT先生と、もうひとり誰だかわからない医師とで管入れが始まった。二人とも管入れは初めてらしく、「これでいいんか?」とか、「管入らへんぞ」「もっと押してみたら」などの会話がとても恐ろしかった。思いっきり管を差し込まれたときはかなり痛く、心臓を貫かれるかと恐ろしかった。その後、体にじわーっと液体のようなものが広がった。青いシートをかぶせられているので俺からは見えないが、たぶん血だろう。二人の医師はかなり焦っている。メッシュかなんかで溢れる血を何度も何度も拭いていた。下に敷いている紙オムツ(それしかなかったらしい)にもかなり血が染み込んでいると思われる。管入れが終わり、俺が立とうとした瞬間に看護婦が紙オムツをバッと取ってサッと丸め、どこかへ持っていってしまった。そんなに見てはいけない程すごかったのだろうか…?

 結局、管を入れる前から漏れは治まっていたらしい。まぁいいか、今回はすぐ退院できそうだ。
 次の日は1日大人しくしていた。漏れもなく、なにもかも順調だった。このままいけば、明後日くらいには退院できそうだ。

 その次の日、11月30日。穴は塞がっていたが、念の為、またあの薬を入れることになった。かなり抵抗を感じたが、今回は成功するだろうと思い、決心した。
 注射器に入った薬が管を通して入れられる。さーっと体に冷たいものが広がった。そして…またあの痛みが甦る!ううっ……?……!!?…こ、これは…!!これは前の痛みではない!!前の痛みの3倍はあろうかというほどの痛みが俺の左胸を襲う!!うつ伏せにしなければいけないのだが、はっきり言ってそれどころではない!!俺はベッド中を転げまわった…
 もがき、呻き、誰も助けてくれない、助けられないと思うと本当に恐怖した…
「灼けるような痛みか…?」T先生が言ってきた。が、痛くて痛くて声が出ない。灼ける痛みなのかどうかさえわからない。とにかく痛い…!
「麻酔持ってくるからちょっと我慢しとき」俺の状態に見るに見かねたT先生はそう言うと病室から出ていった。早く来てくれ…早く…
 五分後、T先生は注射器を持ってきた。薬を入れた所と同じ管から麻酔を入れた。痛みはかなり治まった。だが、腹筋に力を入れすぎていて、しかも力を抜くこともできず、俺はじっとうずくまっているしかなかった…
 あの痛みは、初めて手術した後の六大神経の一瞬の痛みには劣るが、長時間の痛みとしては今までの痛みの中で間違いなく最強だった…
 その後、結局肺の痛みはひどくなってしまった…

 翌日12月1日、レントゲンでは肺は膨らんでいると診断され、管を抜いた。しかし『気胸なりたての痛み』がかなりある。今から思えば入院した翌日の11月29日が一番ましだったのだと思う。
 12月2日、俺は退院した。しかし痛みは相変わらずあるので全く退院した気分になれない。
 本当にこれで治ったのか…?そんな俺の疑問は、2日後に結論がでるのだった……

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