ヤツは何を伝えたかったのだろう?その意味すらままならないまま俺は…

気胸物語VIII

〜ファイナル〜

 前回の再発以来、俺はすっかり自分に自信を無くし、どんどん暗くなっていった。しかし、このままでは彼女に悪いので、少しずつ明るくなろうと努力していた。
 そんな努力が実を結び、ほんの少し自信を取り戻してきた矢先の1999年5月19日、朝。朝食をとろうとしたら、なんの前触れもなく、いきなりヤツが姿を現した。「チョーシのんなコラ!」とばかりに、再々々々々々々々々度の復活を遂げた。

 20日、T病院へ行くと、「一度入院してちゃんと治したほうがいい」と入院を宣告された。俺は少し躊躇った。俺は5月30日にどうしても行きたい所があった。今入院すれば間に合わないかもしれない… しかし、O先生の言うことは正しい。「まだ軽いほうなのですぐ退院できる」という言葉を信じ、俺は入院を決意した。
 初めて脱気という治療をした。でっかい注射器のようなもので横から針を刺し、漏れ出た空気を吸出すという治療だ。これによって早く肺を膨らませることが出来る。処置自体は大して痛くはなかったが、一気に大量の空気を抜かれたことで違和感があった。
 
 21日、肺のしぼみは半分くらいになっていた。よかった、これなら間に合うぞ!
 
 しかし、24日になってもなかなか治らない。俺は少し焦りを感じていた。実は、彼女は演劇サークルに所属していて、30日は彼女の初舞台があったのだ。それがどうしても観たかった。だから、あと5日で絶対に退院しなければならなかった。
 初公演まで、あと6日。
 
 25日、俺の焦りに拍車をかける出来事があった。なんと、また肺がしぼんでいたのだ… 管を入れることにした。そうしたほうが治りは早いからだ。今回の管入れも痛かったが、とにかく早く治りたい一心だった。
 初公演まで、あと5日。
 
 26日、O先生はまた提案を持ちかけてきた。「癒着薬を入れてみないか」と。あれは前回入院したとき物凄く痛い思いをしたわりに全く効果がなかったので、はっきり言ってもう二度としたくなかった。しかし…今回は時間がない。このままでは30日に間に合う確率はかなり低い。しかし、癒着薬を使えばもしかしたら穴が塞がって一気に治るかもしれない。しかも今後再発しにくいかもしれない。しかし、前回のように逆にひどくなる可能性もある。まさにのるかそるかの大博打だった。…俺は、その賭けにのることにした。
 前回は痛さのあまり深呼吸を怠った点が敗因だと分析した。だから今回は痛くても深呼吸に努め、肺と胸膜を癒着しやすくするという作戦で勝負に挑む!
 黄色い薬が管を通して注入される。さっそく俺は『作戦IST(痛くても深呼吸に努める)』を実行した。やはり最初は身をよじるほど痛かったが、麻酔のおかげでなんとか作戦を遂行することができた。
 初公演まで、あと4日。

 27日、作戦が成功したのか空気の漏れは止まり、28日にはクランプ(管をハサミのようなもので挟んで止める)をした。明日には管を抜いて退院できるらしい。…ということは…間に合ったのか!!?おおぁーーっ!!やったぁーー!!俺はベッドの上で小躍り(する自分を想像)した。
 初公演まで、あと2日!

 29日、管を抜いた。退院できるはずだった。しかし…O先生はおもむろに「あと2日は絶対安静。退院はあさって」などと言ってきた…
 なんでっ!?昨日「明日退院できる」って言ったやんっ!!なんでやねん!!そもそも俺はなんで今回入院してん!?はよ治す為やろっ!?彼女の劇観に行くためやろっ!?
 最初空気だけ抜いた時、すぐに退院できると思ってた。それがなぜかまたしぼんでしまって管を入れることになった。O先生は管を入れれば2・3日で退院できると言った。それを信じて入れた。薬も入れた。ぎりぎり退院できて、明日彼女の初舞台を観に行けるはずだった。なのに……
 悔しくて悔しくて、俺はヤツとの戦いで初めて涙を流した。俺はヤツとの闘いに、完全に敗れたのだ……

 O先生は何度も再発を繰り返す俺を案じての配慮をしたのだろう。俺はO先生に「安静なんかしても同じ。なるときはなるねんから退院させて」と言った。するとO先生は「そんだけの覚悟ができてんのやったら、なった時痛い痛い言って来んな」と怒ったのだ。そんなものなのか、医者は。
 初公演まで、あと1日…

 30日、彼女の初公演当日。長い長い一日を病院で過ごした。何もない一日だった。ただただ敗北感でいっぱいだった。明日には退院できるが、今の俺にはなんの喜びもなかった。すべてに負けて、すべてに言いなりになるしかない。この時俺は決定的な挫折を味わい、自信を完全に失った。

 1999年5月31日。俺はT病院を後にした。しかし俺の心にはどんよりとわだかまる黒いものが残った。ヤツとの闘いは終わった。しかし、これからは自分との闘いになるだろう。この先、すべての自信を無くした俺は、一体どうなっていくのだろう?そんなことすら、もうどうでもよくなっていた……

気胸物語

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